「お誕生日なんだねー」 だと思ってくださった方もありがとうございます。
瞬間でも思ってくださったら、うれしいものです。
さて、私の誕生日。
来年からは祖母の命日にもなりました。
朝、母から
「お誕生日おめでとう。
おばあちゃんが旅立ちました」
と、メッセージ。
まさか、セットで連絡をもらうとは思っていなかったため、一瞬、どういう意味か考えてしまいました。
祖母とはこのコロナでもう2年ほど会えておらずでしたが、第6波が来る前の今のちょっとひと段落の雰囲気の中で、会えたら良いなと話していた矢先のことでびっくり。
「え?」
と、スマホを二度見。
昭和3年生まれ。 93歳。
寝ている時にスーッと旅立ったそう。
祖母が今までの人生についてどんなふうに思っていたのかは聞くことはできなかった。
そういえば、聞いたことなかったな。
祖父からは、戦争に行った話や仕事の話を聞いたけれど。
あの年代の女性はこちらから聞かないと話さないのかもしれない。 父方の祖母もそうだったな。
でも、顔が教えてくれているかな。
シワも少なくツヤツヤで良い顔。穏やかな顔です。
そういえば、お坊さんが
「現世でのお勤めを終えられて、あちらの世へ行かれます。
良いお顔ですね」
と、おっしゃっていました。充実感もあったかな。
(全然関係ない話ですが、父方が神式のお葬式を代々してきており、母方は、仏教のお葬式。
両方のお葬式に参列してみて、
亡くなった方への考え方の違いについて、
今回、ちょっと勉強したいなと思いました。)
1年は365日。
人生の締めくくりを10/11に合わせてきたのだから、なにか意味があるんじゃないか。
ふだんはあまり深く考えない私でも、
「この日に旅立つということは、私たち(私、双子なのでもう一人、同じ誕生日の妹がいます)向けられたなんらかのメッセージなのだろうか」
と感じ、数日は「生きる」ということについて考えました。
いろいろ考えてみたけど、
「生きてるってことはそのうち死ぬってこと」
「じゃあ、どう生きるのか」
今のところ。
1番は「楽しかったと思える生き方をする」
それは、いつでも楽しいことばかりではなくて、その時は苦しかったけれどあとから考えたら、楽しい思い出だなと思えるようなこともそう。
「やってみようとおもったらチャレンジする」とか、「楽しくなるように自分が動く」とか、「その時の精いっぱい」とか、なんかぼんやりそんな感じ。
人生の終わりのことまで考えず、ただ前年の誕生日からそこまでの1年を振り返り、この先1年のことを想像してみることくらいしかしてこなかった誕生日。
これからの誕生日は毎年、祖母の命日。
必ず1度は死を意識する日になりました。
「死があるから、生が輝く」
死を思えばどんなふうに生きたいのか、必ず考えさせられるなぁと感じます。
「いつか終わりの日が来るからね」
「『これから先、どんなふうに生きたいの?』よく考える1日にしなさいね」
楽観的な私や妹を思って毎年すこしでもいいから、必ず考えるようにっということかしら。
祖母は大きな質問を残していきました。
おばあちゃん、今までありがとう。
自分なりに良い日を積み重ねていきたいと思います。